コンタクトレンズ (Contact lens) とは、角膜に接触(コンタクト)させて使用するレンズの形態をした器具。角膜とコンタクトレンズの間の距離がゼロに近いという特性により、眼鏡に比べて像のゆがみや大きさの変化が少ない。強度の屈折異常や左右の視力が大きく異なる場合には眼鏡での矯正が難しいことがある。個人差があり、相当な強度や左右差がある場合であっても、眼鏡で矯正できる者もいるが、頭痛や眼精疲労を伴うために長時間装用できない者も多い。
西京区
京都市を構成する11区の1つ。
山科区と同時に誕生した、京都市で最も新しい区の1つである。洛西ニュータウン・桂坂ニュータウンなどの住宅街が中部にある。
西京区桂川以西の地域と乙訓郡を合わせて、西山と称される。
伏見区
京都市を構成する11の行政区の一つで、京都市の南部に位置する。
古くは深草にて京都盆地の中でもいち早く水稲耕作が始まり、稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社が渡来系豪族の秦氏によって創建される。桃山のかつて巨椋池を一望する観月の名所であった指月には、平安時代に橘俊綱が伏見山荘を構え、のちに栄仁親王代々の相伝地とし伏見宮家が創設される。安土桃山時代には豊臣秀吉がこの地で生涯を閉じるまでの間に、桃山には一大政治都市として伏見城と大名屋敷群が整備され、西に広がる淀川沿いの低地にかけて大手筋を軸とした城下町・伏見が形成される。徳川幕府初期には伏見城下に最初の銀座が置かれ、徳川家康から三代家光までの将軍宣下も伏見城で行われるなど幕府の政治拠点であった。伏見城廃城後も伏見奉行が置かれ、淀川水運の重要な港町(伏見港)・宿場町(伏見宿)としても栄えるなど、昭和初期までは京都とは独立した別の都市であった。幕末期に、坂本龍馬をはじめとする討幕の志士たちが活躍した地としても知られる。